独り言シーズン5


by hisaom5
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日本人ノーベル賞受賞

「青色ダイオード」で3人の日本人(?)、日本生まれ(?)の研究者がノーベル賞を受賞した。

若い頃はそれこそ無関心だったのだが(親から小柴昌俊氏や田中耕一氏の「生い立ち本」を読めと言って渡された記憶がある)、ある時期から日本人のノーベル賞受賞者が出るたびに(過熱報道のせいもあり)、ノーベル賞受賞者の歴史、大きな研究を成し遂げた背景を自分で調べたりしていた。

単純にそのストーリーが面白いからだということもあるし、少しは自分の参考になるかと思って読んできた。

今回に関して言えば、中村修二氏はその個性であまりにも有名で、ノーベル賞3人の受賞の時にもすぐに写真が(1人だけ)掲載されたりしている。だから逆に感慨がないというか、これから続々と出てくるだろう(関係者の間では有名な)武勇伝を予測して少し辟易としている。

昔の友だちからは、「御三方、NOBEL PRIZE受賞おめでとうございます。貴男も今頃血が騒いでるやろうなと。数十年後に同賞を受賞している○○の姿が目に浮かびます。「などというLINEメッセージを貰ったが、「そんなバカな」というのが正直な感想だ。

私は、身も蓋もない事を言うと、ノーベル賞はとんでもないことをやらない限りもらえないので、あこがれですらない。☓☓が総理大臣を目指すようなもの(目指してたらゴメン)。正直、研究室を維持するだけで精一杯の、潰れそうな中小企業の社長のような状態です。『そんなことじゃダメだ!もっと研究者に自由と資金を!』といえるほど立派な研究者でもありません。でも研究者の端くれなので人類の未来に貢献できるよう頑張っています。日本人ノーベル賞受賞で、モティベーションの高い子どもたちが科学を目指してくれると嬉しいね。」という返事を返した(それに対する友だちの返信は来ていない)。

正直に言うと、「日本人ノーベル賞受賞」には、私にとっては喜びよりも脱力・失望の方が大きい。そんなすごいことができていない自分に対する失望、受賞者の(飾られた)輝かしい過去を持っていない自分に対する失望、自分の今の研究の視野の狭さに対する失望・・・。勇気づけられて、「よし俺もやるぞ!」などと思えるステージにはとてもいない。

例えるなら、ダルビッシュが大リーグで活躍しているのを聞いたプロ野球の二軍選手が「よし俺も今から大リーグ行って活躍するぞ!」と思うようなものだ。無理だってことは自分が一番良くわかってるじゃん。むしろいま生きていくこと、これから先どうやって食っていくかを考えるだけで精一杯。そんな状況で他人の成功喜んでる場合じゃない。

まあ脱力・失望するだけ、まだ「もしかしたら俺もイケるかも」と思っているのかもしれないが。

さすがにTwitterの私のタイムラインでは、私と同様研究者が多いため、浮かれたTweetはほとんど見られない。その人本人の研究と比べられて妻に皮肉を言われたツイートもあったり。

Twitterの中で、受賞者の1人である赤崎勇氏の、「はやりの研究にとらわれず、自分が本当にやりたいならやりなさい。自分がやりたいことをやりなさい。それが一番だと思う。自分がやりたいことだったら、仮になかなか結果が出なくても続けることができる」という言葉に勇気づけられている研究者の卵もいた。

今の私の状況ではこれも夢物語にしか思えず、失望しか産まない。

現在必死で研究費の申請をしている。どうやったら研究室の今の勢いを失わせずより発展できるのか、それこそ研究室のメンバーにおもいっきりやりたい研究をやってもらえるのかを考えながら。そこで申請する研究テーマは、当然「審査員たちが認めてくれるもの」でなければならない。

もっと言うと、最近の大型予算と呼ばれるものは、はじめからある程度研究テーマに制限がかかっている。そして、「大型予算の目的にかなった研究であるか、その実現可能性はどれくらいあるのか」を問われる。それに採択されないと研究ができないのだから、必死でそれに合わせた研究計画を立てる。そしてもし採択されたら、短い期間でそれに沿った成果が出ているかが問われる。

「よくもまあ(気楽に)そんなことが言えるもんだ」と思わざるをえないのだ。

「本当にやりたいことをやりたいだけやれる」という状況がどれだけ得難いものであるか、それを抜きにして理想だけ語る状況に脱力と失望を覚えるのだ。

もう一人の受賞者である中村修二氏は日亜化学にいた当時に、社長の一存と彼自身の強力な(言うことを聞かない)個性によって、思う存分自分の本当にやりたいことをやって、最終的にノーベル賞まで行き着いた。その過程で、自分の発明に対して十分な報酬を与えなかった会社に対して訴訟も起こしている。

その挙句、「日本の研究には自由がない」という発言。ある程度の地位を確立してアメリカに行き、「アメリカには自由がある」という発言。そういう好き放題なところがゆるせない。もちろん一方で、好き放題だからノーベル賞がとれたのだとも言える。だから。こういう破壊的な人格をもったぶっ飛んだ人間を育てることがノーベル賞受賞者を増やすことにつながるとも言える。

だが、それを社会が望んでいるのか?小保方氏はそういう期待を持って育てられたモンスターなのではないか?

・・・と、まあ現在の私にとっては「日本人のノーベル賞受賞」の持つ意味は大体こんなかんじなのだ。

最後に、研究者の間では同じように破壊的な人格者であったと言われる、ノーベル賞受賞者の利根川進氏の言葉を残しておきたい。これは、当時大学院生だった自分がもっとも勇気づけら得た言葉だ(記憶が正確ではないかもしれないが、主旨はあっていると思う)。

自分のためになる研究をやれ。

この言葉が含んでいる内容はとても大きい。テーマを与えられた学生にもあてはまる言葉だし、研究室の主宰者になった人間にもさまざまな意味であてはまることだろう。(基礎)研究者は結局、自分の役にたつことをせざるを得ないし、またそれをとことん追求して人類の新しい道をひらく先導者になるべきなのだ。
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by hisaom5 | 2014-10-08 21:29 | 日記