手記への反響
2015年 01月 18日
昨日のブログに書いたデジタル化した手記をFacebookにアップしたら、思わぬたくさんの反響があった。
今読み直してみて、実際、よくかけているなぁと思う。短い文章を積み上げ事実を述べながら、自分の感想や前後関係を間に挟み込んでいる。非常にスピード感と迫力がある。よくこんなもん書いたなと思う。
実際には修士論文を書くべくパソコンの前に座り、この文章を完成させることを再優先していたあの頃。誰かに読ませるつもりで書いたのではなく、単に貴重な経験を記録として残しておきたいという気持ちで書いたものだ。
多分、こういう文章は今はもうかけない。若かった頃、体験した直後であるからこその勢いがあるんだろう。自分でもかなり響くこの文章は、たくさんの方の心に響いたようだ。
実際、当時この手記を、お見舞いを下さった親戚に御礼の手紙と一緒に送ったら、親戚の1人が新聞社に見せて、二回に分けて掲載された。大きな見出しは、個人的にはこっ恥ずかしかったが、地元の友達の多くはこの記事を知っていた。
震災の直後、私は実家に帰った。親は私の体験を聞こうとはしなかった。私がきっと辛い体験をしただろうからと気をつかっていたのだそうだ。ところがどっこい、私はその体験を文章にしていた。そして、親はきっと親戚への手紙から間接的に私の体験を知った。
いずれにせよ、この手記をFacebookにあげ、たくさんのコメントをもらったことで、震災から20年にふさわしく、あの日からの20年を振り返る非常に良いきっかけになった。
今読み直してみて、実際、よくかけているなぁと思う。短い文章を積み上げ事実を述べながら、自分の感想や前後関係を間に挟み込んでいる。非常にスピード感と迫力がある。よくこんなもん書いたなと思う。
実際には修士論文を書くべくパソコンの前に座り、この文章を完成させることを再優先していたあの頃。誰かに読ませるつもりで書いたのではなく、単に貴重な経験を記録として残しておきたいという気持ちで書いたものだ。
多分、こういう文章は今はもうかけない。若かった頃、体験した直後であるからこその勢いがあるんだろう。自分でもかなり響くこの文章は、たくさんの方の心に響いたようだ。
実際、当時この手記を、お見舞いを下さった親戚に御礼の手紙と一緒に送ったら、親戚の1人が新聞社に見せて、二回に分けて掲載された。大きな見出しは、個人的にはこっ恥ずかしかったが、地元の友達の多くはこの記事を知っていた。
震災の直後、私は実家に帰った。親は私の体験を聞こうとはしなかった。私がきっと辛い体験をしただろうからと気をつかっていたのだそうだ。ところがどっこい、私はその体験を文章にしていた。そして、親はきっと親戚への手紙から間接的に私の体験を知った。
いずれにせよ、この手記をFacebookにあげ、たくさんのコメントをもらったことで、震災から20年にふさわしく、あの日からの20年を振り返る非常に良いきっかけになった。
by hisaom5
| 2015-01-18 22:03
| 日記