独り言シーズン5


by hisaom5
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カテゴリ:雑記( 29 )

留学計画

以前のエントリーに書いたが、国際共同研究のためのグラントに採択された。この研究費は、要するに「6ヶ月以上海外で研究してこい」という研究費だ。対象年齢が35〜45歳。つまり私は最後の応募のチャンスだった。

以前の大学では、それくらいの年齢になると(大学の経費で?)一年位留学させてもらえるのが普通だった。それが、大学の運営費交付金が削られている関係でここ数年は大学にそういう予算がなくなり、海外に留学する人がめっきり減ってしまった(んだと理解している)。ただでさえ「留学が減っている」と言われる古今、それではいかんということで作られたのがこのグラントなのだろう。

で、最近私自身が閉塞感を感じて新しい事をやりたかった事、この年代で海外に行きたい(行ける)人はそう多くなく多分採択率は高いだろうこと、いずれにせよ研究費が欲しかったこと、などの理由で応募したら、やっぱり採択された。

「採択されてしまった」と言っても良い。というのも、今の私はそれほど身軽ではない。アメリカに留学した15年前ほど若さも勢いもない。正直、渡航の事を考えると、しんどい。向こうでの生活はなんとかなるだろうとは思っている。行ってみなけりゃわからんけど。

一番大きな問題は家族だ。「家族全員で一年留学!」なんてことができたら良いが、資金の面、子供の学業の面でそれはとても難しい。私が滞在している間に短い期間だけ来るという事になりそうだが、それでも大きな出費になる。若いころは「なんとかなるさ」と思っていたが、今はわりと将来へのネガティブな展望が見えているだけに、この投資は大きな禍根を残すかもしれない。

幸い講義はあまりやっていないので、やっている分に関しては「開講せず」とさせてもらった。ラボメンバーはみんなしっかりしているので、ネットでやり取りをすれば私がいなくてもなんとかなるだろう。問題なのは学会・研究会。いろいろ「行きます」と言っているものがあり、これに不義理をするわけにはいかず、これが時期を強く制限してしまう。

そんな感じで考えれば考えるほど気が重くなる。でも、私自身「行かなければならない」と思っている。負荷のかかる挑戦をしなければ成長はない。これ以上成長しなくてもいいじゃないかという話もあるが、できるだけ頑張ってみようじゃないか。なりたい自分になるために。

1つ。このグラントに採択されたことをラボメンバーに話したら、とても喜んでくれた。私のレベルがさらに上がることを期待されているようだ。まあ逆に言うと、今の私の現状に不満を持っているのかもしれないけれど。

しんどい時にはそれをブログに書くことで自分を元気づけてきた。今回の「留学計画」もブログってみるかな。


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by hisaom5 | 2016-03-24 19:55 | 雑記
大学院時代ある実験を行っていて、どうもビシっとしたデータがでず何度も繰り返していた時に、隣の研究室の助教授に「(いつまでもらダラダラやらずに)この実験で決めのデータを出す、というふうにやらないといけない」と言われたことを覚えている。それは私にとっての転換点だった(だから今でもこの言葉を覚えている)。

実験が、「実験のための実験」になっていないか。その実験で示したいことは何で、その結論に達するために必要なことは何か、どういうデータがあれば、(論文に掲載できる図)となるのか、常にそれを考えながら実験を行わないと、ただ闇雲に実験を繰り返すだけになってしまう。ムダに時間を浪費してしまう。

その感覚は、人がもともと持っているものなのだろうか、あるいは訓練によって身に着けていくものなのだろうか。サイエンスコミュニティーのスタンダードを知らなければその感覚を身につけることは出来ないだろうから、やはり後者なのだろう。つまり、研究室での教育・経験が必要となる。

そうすると大学院生にとってそのスタンダードへの第一の壁は指導教員だということになろう。指導教員が(あるいは研究室の先輩が)、論文の図にできる説得力のある「決めのデータ」とはどういうものなのか、それをとるためにはどうしたら良いのかを指導しなければならないのだろう。



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by hisaom5 | 2016-01-15 20:39 | 雑記
年末にビッグニュースが飛び込んできた(身近な人達の間ではすでに噂になっていたらしいが)。業界のイケイケ教授が研究費不正を行っていたというものだ。最も顕著なものは業者への預け金。それが一億を越えるとか。

このニュースを聞いて、(自分は今預け金をしていない)多くの研究者のレスポンスは、「まだそんなことをしている研究者がいるのか?」と言うもの。そう、確かに10年ほど前までは預け金はみんな普通にやっていた。それがいい悪いは別にして、それで大きな問題になるという認識はなかったのだ。これは研究者に限らず行政組織でもそうだったと認識している。

だが2006年のいわゆる松本和子事件で状況が変わった。検収制度というのが出来て、ちゃんと注文したものが納品されているのかを機関の第三者がチェックするという制度ができた。私も、その時の制度の大きな変化に驚いたことを憶えている。それと同時に、この時から研究者の間では「預け金をしたらアウト」という認識も広まったはずだ。

私は詳細は知らないが、その後、「預け金をしているなら今言って精算したら許してやる通知」というのがあったらしい(それも2度ほど)。それにもかかわらず言い出さず、あとで預け金がバレて処分を受けた研究者を何人か知っている。その研究者たちは、時流を読めなかった犠牲者とも思える。

さて、私の想像だが、件の教授のケースでは、あまりに額が大きすぎて「許してやる通知」の時に言い出せなかったのではないだろうか?報道によれば「許してやる通知」で5億円ほどの預け金が出てきたらしいが、1人の研究者がそれに2億円も上乗せしたらやはりただことでは済むまい。それで言い出せず、かと言ってそんな大きなお金を今動かしたら、「一体どこからそのお金が出てきたの?」となってしまう、まさにがんじがらめの状態だったのではないだろうか?

この預け金が、件の教授がごく最近動かしていた巨大研究費からのものではなく、10年程度前の研究費からのものであることがそれを物語っているように思う。もし、ごく最近の巨大研究費からも預け金をしていたとなると、言い逃れのできない確信犯だということになるだろうが・・・(一億円以上も預け金があってそれ以上必要とは思えないが)。

さて、巷(Twitter)では、この研究費不正によって、また研究費の使用について締め付けが厳しくなるだろうという意見がある。しかし。私はそうは思わない。なぜなら、上記のように、この不正は締め付けが厳しくなる前に行われたものであり、それが言い出せなかったことが最も大きな原因だと思うからだ。

現在の「締め付け」は十分に機能しているし、それによって研究者の倫理観も変わった。だからこれ以上締め付けが強くなるとは思えないのだ。

最後に。イケイケ教授の講演を少し前に聞いたが、氏のぶっ飛んだ仕事はこれからさらに大きく弾けそうな雰囲気を感じさせていた。ここまで積み上げてきたものが霧散するというのは、不正が如何に恐ろしいことかということだ。

52歳であれば、いよいよこれからというところ。それが終わってしまうのはとてももったいない気がする。だがどうなのだろう?3−5年の公的研究費執行停止期限の後、氏はまた復活するのだろうか?氏ならばあり得る気がする。ただ、2億円以上の不正経理の落とし前がどうなるのかは、私には想像ができない。
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by hisaom5 | 2015-12-26 17:32 | 雑記

40代の男は走れ

新書のようなタイトルで、以前から思っていた(酒の席ではよく展開している)、持論を展開してみたい。

40代の男は走るべきである。それは以下に述べるいくつかの理由による。
 1.考えても無駄な悩みを吹き飛ばせ
 2.成長し続ける自分を感じろ
 3.家族から一時的逃避せよ
 4.そのオマケとして健康増進

1.考えても無駄な悩みを吹き飛ばせ
40代は、悩み多き時代である。人生のうちでも幸福度が最も低く自殺も増え始める年齢である。仕事や家庭でがんじがらめ、先のことを考えると不安ばかりがつのる。だが実際のところ、悩みのほとんどは自分ではコントロール出来ない。「悩んでもしょうがない」のだ。

そんな時・・・走れば良い。走ると、悩みのほとんどは「ま、いっか。」と思うようになる。なぜかはわからない。(ちゃんとした研究があるかもしれないが)私の分析では、走ることは肉体的・精神的に苦しく、生存に対するストレスとなる、この強い生存に対するストレスのせいで、その他の生存に危機を及ぼさないストレスが、「たわいのないもの」に思えるのではないだろうか。

50代で東京No.1のある教授は、「私も色々とビジネス書や啓蒙書を読んだけど、大して役に立たなかった。役に立ったのは、走ることだよ。」と言った。はじめは意味がわからなかったが、今なら意味が理解できる。

2.成長し続ける自分を感じろ
これは、若いころに長距離を走るのが嫌いだった人ほどよい。40代は、体の衰えを急速に感じ始める時期である。健康診断でも色々と引っかかり始める。目も衰え始める。毛も大量に抜ける。・・・老化が迫ってきていることを感じ始める時期である。今こそ、走ろう。はじめは歩くようなスピードでいい。だんだんと距離を伸ばしていこう。ランナー膝がやってくるが、休まず続けて乗り越えよう。

そうすると、自分でもびっくりするような距離を走れるようになる。若いころに走ったこともないような距離が走れた時、「まだまだ自分は成長できる」と感じられる。前に進む元気が湧いてくる。

3. 家族から一時的逃避せよ
40代は、子育ての真っ最中。せっかくの(?)休みも家族のイベントで費やされる。休日のほうがむしろ疲れることもある。そんな時、「健康のために走ってくる。」と家族に言ってみよう。断られることはほぼ無いだろう。後は、小一時間その辺をぶらぶら走ろう。その開放感たるやたまらない。その前後の、家族のイベントに全力で取り組むエネルギーも湧いてくる。

4. そのオマケとして健康増進
40代は、メタボリックシンドロームとの戦いだ。あるとき突然、健康診断で「E 判定」を突きつけられる。たいていのE判定は、走って痩せれば解消される。私の知り合いで40代でランニングを始めた人は、健康診断で「あなたは、息をしていない。肺の奥まで空気が入っていない。」と言われて、慌てて走りだしたそうだ(その人はその後フルマラソンも完走した)。

ただ、「健康増進」を第一のモティベーションとして走ることは、私はあまり勧めない。上記の人のようによっぽどの状態でなければ、走り続けるモティベーションとしては弱いからだ。それよりは、上記の1〜3のように、もっとポジティブなモティベーションで走るほうが、楽しく走れるだろう。「家族からの逃避」がポジティブなモティベーションかどうかは、捉える側によるかも知れないが・・・。


まずは、5km走ろう。走り終えた時に、得も言われぬ爽快感、晴れ晴れとした気持ちを感じたら、今こそランニングを始める時だ。
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by hisaom5 | 2015-01-24 17:23 | 雑記
最近、過去のブログを読みなおしたりしている。かれこれ12年近く書いている。

最初に始めたのは留学先で(ちょうどその頃、ウェブ日記とかブログのサービスが始まった)、留学先の体験を(自分で言うのもなんだが)面白おかしく書いていた。

帰国してからは、主にラボでの体験を書いていた。「システムバイオロジー」を始めたところだったし、エキサイティングなプロジェクトにいたので、いろいろと内部の事も含めて書いていた。

上記の頃は、まだブログが掘り起こされて「炎上する」ということもあまりなかった。おそらく、Twitterなどの、あっという間に世界に広まるSNSがなかったせいだろう。この1,2シリーズのブログは今は非公開にしている。かなり際どいことが書いてあるからだ。

次に、セルフプロモーションも考慮したシリーズ3のブログを始めた。このブログは、広い読者も意識しTwitterにも連携し、書評なども書いた。ブログにコメントがわりとついていた時代である。これは非公開にせずそのまま残している。

シリーズ4。大学に移り、ラボをセットアップする頃のことを書いている。これもTwitterに連携。ラボ運営やら学生の始動やら出張やらの日記に近いブログ。

この頃から、ブログの炎上が話題になり始めた。私も、これまでの立場とは違って「うかつなことが書けない」状況になってきたと思う。このブログには、公開と非公開が混じっている。そして、「うかつなことが書けない」立場が強まり、がんじがらめな社会の雰囲気も反映して、このブログも終了した。

現在のブログは、今も混迷しながら書いている。何が書けるのか、何を書いてはいけないのか、公開にすべきネタなのか、非公開にすべきネタなのか。TwitterやFacebookなどのSNSと連携すべきなのか(身分を明かすべきなのか)、あくまで身分は明かさず続けるべきなのか、アクセスが増えたら嬉しいのか、増えないほうが嬉しいのか・・・。

基本的には読者は想定せず、その日その日で自分の頭に浮かんだ「ブログに書こう」と思うことを書いている。昔もある程度そう思いながらやってきた。

以前、私のブログを長い間フォローしてくださっている方々に会って、「ブログが面白くなくなった」、「ネガティブなことばっかり書くな」などと言われることがあった。確かに、昔のブログを読んでいると面白いことを書いている。周りのいろんなことに感心したり、ムカついたりしたことをストレートに書いている。それはなくなった。

けど、それは「書かなくなった」というよりも「そんなことにいちいち感心したり腹を立てたりしなくなった」ということでもある。ブログに書くほどではないと思うようになったのだ。これは、「感性が衰えた」とも言えるのかもしれないし、「大人になった」と言えるのかもしれない。

そして、今私が書いていることは、今の私が日々考えていることそのものだ。敢えて読者を想定して何かを書く必要はない。自分の書きたいことを書く。それが私のブログなのだ。私の書いた内容に価値を見出す、私と同じような人生のステージにいる人もいるかもしれない。そんな人には少しは役に立つかもしれない。

ただ、そんなこととは無関係に、数年後の私にとっては、自分を振り返る財産となることは違いない。だから書く。

まあしばらくは、ブログで何を書くか、暗中模索が続くのだろう。

ーー

この話題に関係して、ふと気がついたことがある。寺田寅彦氏が書いた「ジャーナリズム雑貨」である。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2492_10275.html

ジャーナリズム(特に新聞記事)は、実は、文章として印刷されるものではあるが、「消え物」である。賞味(消費?)期限は非常に短い。ウェブ上に載せられた新聞記事も、しばらく経つとリンクが切れる。新聞記者は、ある程度そういう覚悟で、記事を書いているのだろう。

ブロガーも、ある程度の期間が来れば、(半ば自動的に)記事を非公開にすれば良いのかもしれない。そうすれば、自分の書いたこと全てに責任を持たなければならないリスクは下がる。過去のブログを切り離してきた私のやり方はあながち間違っていなかったように思う。

実際、過去のブログが残っていると悪い影響があることもある。よくあるのはパソコンでトラブった時に検索をかけて、引っかかってきたブログ記事が、実は過去のOSであって今に適応していないというような状況である。まあ、過去のOSを使い続けている人が同じトラブルで検索しないとも限らないので、この記事を閉じるべきかどうかは悩ましいところではあるのだが・・・。記事の検索に「新しさ」というパラメータを加えればよいのかもしれない(出来るかどうか知らないが)。

いずれにせよ、そういう「過去を切り離す」構図のブログなら、割とちゃんとオープンにできそうな気がしてきた。アクセスの多い記事だけは、残していく形にするとか。
ちょっと考えてみよう。


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by hisaom5 | 2015-01-23 21:41 | 雑記

年末年始

このブログ、特に読者は想定していないので(自分に向かって書いているので)、「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」とは書きません(書いてるけど)。

12月30日には、毎年恒例のキッザニア&映画鑑賞。下の子供2人と妻が映画を見ている間に、私と息子は映画を見て買い物をする。今年の映画は「寄生獣」。前評判は良かったが、まああんなもんかなと。原作も知ってるしアニメも見てるから。昨年見たゼログラビティのほうが圧倒的に面白かった。

30日夕方のららぽーとは程よく空いていて、お陰で懸案の買い物ができた。ジャケットとパンツ。結局、無印良品で買ってしまったが、これでよかったのかどうか・・・自分的には気に入ったのが買えたと思っている。31日にはユニクロに行き、さんざん迷って試着しまくった挙句1980円のカーディガンを買った。でもお陰で久しぶりに自分が何を買ったらよいかがわかった気がする。後はシューズを買いたかったのだが、これはいいのが見つからず。今のやつをもう少し手入れして使うかな。

30日の夜に妻の実家に入り、私は毎年恒例のK君との飲み@ココス。一年を総ざらいする飲みだ。

31日には午後からRun。妻の実家から淀川がおもったよりずっと近く、懐かしの合宿所まで・・・とは流石にいかなかった(遠かった)。いつもロングでたどり着いていた、鳥飼大橋やオカムラ家具を懐かしく眺めた。

その後も毎年恒例の、妻の実家一家での食事、笑ってはいけない、新年の挨拶・・・就寝。

今日1日は、朝おせちとお雑煮を食べて岡山に帰ってきた。途中雪が降ったりでスリルもあった。今年はそのまま吉備津神社に初詣。毎年このスケジュールだったはずだが、元日に初詣できたのは始めてだ(いつも子供体調が悪かったからかな?)。それにしても寒かった。雪が降ったりめちゃくちゃ寒かったりするのも、正月っぽくていいのだけど。

その後、ラボに。元日にラボに行ったのも久しぶり(岡山でははじめて?)。実験結果を見て(年明け早々予想外の結果)、少し作業をした。

明日からは、私の実家に行く。兄の子どもたちが来ているはずだ。子どもたちが遊んでいる間に、私はまた走るつもり。走るようになって実家での過ごし方も充実してきた(と言っても、外に走りに行っているので実家にはいないのだが)。2日ほど滞在して、いよいよ「始動」かな。

長男と次男がマインクラフトにハマっている。傍から見ていても結構楽しそうなゲームだ(やるつもりはないが)。


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by hisaom5 | 2015-01-01 22:28 | 雑記
昨日は夕方早く帰って走った。「週2ラン」を始める。昨日は10kmを走った。なんと1km 5分を切った。このタイムでハーフを走ることをひとつの目標にするか。

今の私の懸案は、ここ数年やっている困ったデータを論文にすることだろう。困ったデータはまだ一人の学生によって料理され続けているのだが、果たしてどこかに向かうのか・・・そろそろ自分たちなりにまとめてメッセージを発信しないといけないだろう。

自分で言うのも何だが、私はここ数年大変奇妙な研究をやっていると思っている。奇妙であるがゆえに論文を書くときに非常に苦しむ。

目の前にわかりやすい課題が一つあり、それにどうアプローチしたらよいかの道筋がだいたいわかっていて、着実にそれをこなして結果を出して論文にする、というのは書きやすい論文だといえる。あるいは発見がはっきりしているとか。

私の最近の仕事はどうもそうなっていかない。「まぁやってみよう」と思ってゴールを設定せずに新しい実験はじめる。解釈の難しいデータがたくさんたまり、それをどうさばくか、またそこから見えてきたデータから何が言えるかを、じっくりと考えを醸成しながらまとめていき、ようやく執筆にたどり着く。その間に色々な余計なデータも出しながら・・・その大半は発表されることもなく。


話が変わるが、研究者の素養として一つ重要なものがあると思っている。「(論文を書くのが研究者で)論文を書かないものはテクニシャンである。」という言葉があるが、その裏側にある人間の素養として、「自分のみつけたものを誰かに見せたくなるかどうか」、というのがあるのではないかと最近思っている。学会発表やら論文発表は、結局自分のみつけたものを誰か他の人に見てもらう方法である。それを通じてでしか研究成果を認めて貰う方法はない。論文を書くのはしんどい作業ではあるが、人に見てもらいたいという強い衝動があればそれを乗り越えられる(なければ逆に乗り越えられない)。

自分が見つけた面白いものを人に見せて共感してもらいたいというのは、人が生まれつき持っている素養なのだろうか? 最近、「赤ちゃんは教えたがる」という論文が発表されたというニュスを見たが、それが本当なら、人は生まれつきそのような素養を持っているということになる。人類の未知の発見をすることは容易ではないし、それを科学コミュニティーに認めてもらうことはもっと大変だ。だが結局は、赤ちゃんが持っている、「見つけたことを教えたがる」という素養を伸ばし続けることが、研究者にたどり着くための道につながっているのではないだろうか。


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by hisaom5 | 2014-11-06 20:05 | 雑記

新しいMacProを買った。

職場のメインマシンとして使っていた、MacPro (Early 2009)の動作がどうももっさりしてきたので(特にMS WordとPowerpointを使っている時)、思い切ってMacProを新しくした(Late2013)。例の「ゴミ箱」と言われているやつ。8-coreでメモリは32GB。一昔前と違ってパソコンのハード自体の進歩は遅くなっていると思う。4年ぶりに買ったものだが、はてさてどれくらい進歩しているのやら。
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はじめ、前のMacからすべて移行しようとしていたのだが、11時間かかった挙句、「残り1分」で前に進まなくなった。いつ残り1分になったのかわからないが、計算上は10時間以上経っていて、とても先に進みそうにないので諦めた。

前のMacには、膨大な過去の財産がいるものもいらないものも含めて入っているので、思い切って新しいMacには、「今必要なもの」だけを入れていくことにした。何をやったかを備忘録的に書いておく。ちなみに現状では、前のMacと同じ使い勝手で使えるようにはなっている。

・キーボードとマウスの設定。東プレのReal forceキーボードと、ロジテックのPerformance MXへの対応。
・ソフトウェアはとりあえずMS Officeをインストール。大学が総括契約しているのでそこからダウンロード。
・DropBoxを設定。これで最近使っている「生きている」ファイルをすぐに使えるようになる。
・メールの設定。過去のファイルはとりあえず入れないことに。
・ブラウザはChromeに。カレンダーの設定、Twitterの設定。
・クラウドのおかげはかなり大きい。
・古いMacのモニターはすべて新しいMacに。画面共有でなんとかなると期待して。
・辞書(Oxford英英辞典と英辞郎を設定。DVDからインストールするだけ)

さて、これで実際に使っててどれだけストレスが少なくなっているか。今後のお楽しみ。
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by hisaom5 | 2014-11-01 17:53 | 雑記
昨日のラボセミナーで、Mさんが発表した論文の中身にちょっと違和感を覚えたので指摘したら、議論が紛糾した。

私:そのデータ、なんか変な感じがする。今言ってた条件で、そういうグラフが得られるとは思えない。
Mさん:「変な感じがする」とか「思えない」というのは論理的ではない。

まあ確かにそうだ。

だが、なんか見ただけで変だなと思うことはある。特に今回は数理モデルの話だったので、与えられた前提条件で、そこまでの予測ができる数理モデルが立てられるとは思えないという直感があった。しかし、直感だからといって「論理的ではない」とは限らない。これまでに自分の脳みそに蓄積した経験・知識が、そのデータを見た時に統合されて、どこかの部分でおかしさというものを感じているのだ。じっくりとその根拠を取り出せば、論理的にも説明できる可能性は高い。

私は、これまでもこうして議論が紛糾する場によく居合わせた。というか、その中心にいた。自分が紛糾させているつもりはなく、私がなんとなく言ったことに、「それは違う!」と非常にエキサイトして割り込まれたり、今日のように誰かの発表に「なんかおかしい」と言ってしまって、そこから紛糾したり・・・。

紛糾してエキサイトしているときはあまり気分の良いものではないのだが、それが後になって財産になることが非常に多い。紛糾するということは、そこに大きな対立する視点があるということであり、考え方の大きなギャップがあるということでもある。実際、紛糾したテーマについてあとで調べてみると、しばしばそれが科学の最前線で追求されていることだったという経験がある。だから、後の人間関係に悪影響を及ぼさない限り、紛糾することは悪いことではなく、むしろチャンスと捉えて良い。(「〜限り」の部分が、実は一番難しかったりもするのだが。)

さて、そんなこんなで昨日の紛糾であるが、結局は「数理モデルをちゃんと見てみないとわからない」ということで、私が見てみることにした。

詳細は来週のラボセミナーで発表することにしたが、結論は私の予想したとおり・・・というよりも予想よりもひどかった。まずは、図の見せ方が非常にconfusingで、モデルで得られたものと実際のデータが非常にわかりにくい。それが、私に違和感を覚えさせた原因の1つだった。本文中では、「モデルの予測は驚くほど合っていた」と言っていたが、前提となる条件をreasonableな形でいじってみると全く違う結果になり、合っていたのは「たまたま」だということも分かった(つまりこのモデルは何も予測できていない)。その操作は、このモデルを作る際に当然やっておくべきもののはずだが(レビューアも気づくべきだが)、意図的にか気づかずか、その記述は論文中にない。

話がそれるが、そういう「当然やっておくべきこと」が抜けたままパブリッシュされるのは、著者としても雑誌としても大変に「恥ずかしいこと・みっともないこと」である。「論文が通った!やった〜!」ではない。「そういう論文は後から淘汰されてなくなる、それがサイエンスの歴史だ」、という人もいる。だが、まずはそういうみっともないものが世に垂れ流されないようにすべきではないか。

インパクトファクターで雑誌を区別することに賛否はあるが、大抵の場合、ハイインパクトファクターの雑誌にはみっともないことを避けるプライドがあり、エディターもレビューアーも大変に厳しい目で論文を審査する。だから、発表されている論文にはある程度の「信頼」がおける。自分の時間を割いて、その中身を吟味する価値があると思えるのだ。今回のように、時間を割いて数理モデルの中身を見てみてたら酷いものだった、ということはある程度避けられるはずだ。

今回の場合には、私自身も勉強になったし、ラボメンバーにも勉強になる素材として役に立ったので、それはそれでよかったとしよう。最後に1つ付け加えるならば、この論文の実験データはすべてちゃんとしていて、得られた結果や主張も面白いものだった。(問題があるのは数理モデルだけだった。)


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by hisaom5 | 2014-10-31 20:36 | 雑記
私は英語ネイティブでもないのに英語の講義をやっている。たいていそういうものなんだと思うが、自ら「やります!」と言ったわけではなく、「やってください」と言われたから受け持っている。英語論文のリーディング(抄読)とライティングだ。

リーディングの方は、論文を読んでその内容を(日本語で考えて)咀嚼すれば良いのでさしたる問題はない。

問題はライティングの方だ。ネイティブでもないのに完全に「正しい英語」が書けはしない。もちろん論文は英語で書くわけで、英語の執筆も日常的に行っている作業ではある。しかし、論文を投稿するときには、審査員に「英語が悪い」と言わせないために、ネイティブによる英文校閲を必ずしてもらう。そうするとやっぱりいろいろと直される。そういう状態で、ライティングを指導する。

ただし、日本人だから教えられることはあると思っている。ネイティブではないから苦労している点、それをどう乗り越えて論文を校閲してもらうところまで持っていくか。あるいは校閲はしなくても、ネイティブに通じるレベルにするにはどうしたら良いか、といったところなど。もちろん教えるからには、こちらも常に研鑽を積み、正しい英語に近い英語が帰るように努力はしている。

昨年はじめてライティングの講義をして、5名の学生にミニ論文を書いてもらった、添削を繰り返し、その都度ポイントとなっているところを解説していくというスタイルで行った。これはかなりの労力を取られた。学生によって英語の実力もまちまちだったりするし。最終的には自分と学生が「これくらいでいいかな」「と思うところで講義は修了した。

今年も同様に行おうと思ったが、やはり特にこちらの労力が半端ない。それぞれに書いてもらった内容を添削するという作業が、まさにケースバイケースなのだ。

それで、昨年ポイントとなったところがなんだっけ、と思いつつ取り出してみようとしたら、情報がバラバラに存在していて、自分でも忘れていることだらけだった。頭の中に入っていると言っても、どこかの深い引き出しにある。それが、ケースに応じて出てくる状態では、教える方も教えられる方にもよろしくない。

とうことで、今日のタイトルになるのだが、自分で学んだこともちゃんと体系的に整理して取り出せる状態にしておかないと、結局役に立たないことになりかねない。wikiは体系的に情報を整理するには抜群のツールだと思っている。ということで、講義のwikiに情報を整理しつつ、次回の講義に備える。

ところで、究極の知識の体系化の1つは教科書だと思う。だから、この講義でも、自分の伝えたい内容がきちんと整理されて記述されている良い教科書を選んで、それをそのままやればよいのかもしれない。手抜きのような気もするが、実際にはそれが一番よい手段だとも言える。さらに言えば、自分で教科書を作ってしまえばベストなのだろう。


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by hisaom5 | 2014-10-30 20:26 | 雑記