10月1日 今日思うこと
2014年 10月 01日
久々にこちらのブログに書く。
10月1日、(大学の学期としては)後期が始まる。大抵の大学教員にとっては、学期中かそうでないかは、講義という仕事が入るかはいらないかの違いで、講義がないことで研究に集中したり学会出張に出向いたりできる。
私も本年度から後期に教養の講義がひとつ入り、そちらにもエネルギーが割かれるようになってしまった。とは言え、講義はやり始めると楽しく元気ももらえるので、それに割かれるエネルギーのことをあまり考えないでいいなら、悪いことではもちろんない。
前期は100人超えの講義で毎回(わき)汗を流しながら必死でやっていたが、後期は今のところ履修者が30人足らず。「拍子抜け」な気分でもあるが、逆によりインタラクティブな講義ができるということでワクワクもしている。金曜日に1回目の講義が始まる。まずは受講生を見ないことには始まらない。
大学の教員にとって10月は「科研費申請」の月である。これが私たち基礎研究者にとってのもっとも大きな財源なので、毎年毎年必死の思いをさせられる。
私の研究室も来年度新たにとらなければ、また首が回らなくなる。かと言って今年は「これは行ける」という申請対象がない。行けるかもしれない、という構想は出来てきたが、また様々な調査をして下書きをして、文章を書き推敲して、という作業が待っている。
つらい。つらいがしょうがない、という一方でこれもまた自分の為になる作業でもあるのだ。よく練られた研究計画は、そのままラボメンバーに渡して内容を理解して実行してもらえる。思い出せば、私が留学した時のボス(マーク)が、私の受け入れを決めた時にNIHグラントの申請書を見せてくれて、自分が何を具体的にやるのかがよくイメージ出来たことを思い出す。
最後に論文について。明らかに高い価値を持っていないが、発表しておくべきという内容の論文をまずは仕上げた。もうひとつくらい同じタイプのネタがある。後は学生の学位のかかった少し大きいネタ・・・こちらは論文にするときに、またリバイスでもずいぶんと苦しむだろう。だが、Snack writingで少しずつ進んでいくしかあるまい。
10月1日、(大学の学期としては)後期が始まる。大抵の大学教員にとっては、学期中かそうでないかは、講義という仕事が入るかはいらないかの違いで、講義がないことで研究に集中したり学会出張に出向いたりできる。
私も本年度から後期に教養の講義がひとつ入り、そちらにもエネルギーが割かれるようになってしまった。とは言え、講義はやり始めると楽しく元気ももらえるので、それに割かれるエネルギーのことをあまり考えないでいいなら、悪いことではもちろんない。
前期は100人超えの講義で毎回(わき)汗を流しながら必死でやっていたが、後期は今のところ履修者が30人足らず。「拍子抜け」な気分でもあるが、逆によりインタラクティブな講義ができるということでワクワクもしている。金曜日に1回目の講義が始まる。まずは受講生を見ないことには始まらない。
大学の教員にとって10月は「科研費申請」の月である。これが私たち基礎研究者にとってのもっとも大きな財源なので、毎年毎年必死の思いをさせられる。
私の研究室も来年度新たにとらなければ、また首が回らなくなる。かと言って今年は「これは行ける」という申請対象がない。行けるかもしれない、という構想は出来てきたが、また様々な調査をして下書きをして、文章を書き推敲して、という作業が待っている。
つらい。つらいがしょうがない、という一方でこれもまた自分の為になる作業でもあるのだ。よく練られた研究計画は、そのままラボメンバーに渡して内容を理解して実行してもらえる。思い出せば、私が留学した時のボス(マーク)が、私の受け入れを決めた時にNIHグラントの申請書を見せてくれて、自分が何を具体的にやるのかがよくイメージ出来たことを思い出す。
最後に論文について。明らかに高い価値を持っていないが、発表しておくべきという内容の論文をまずは仕上げた。もうひとつくらい同じタイプのネタがある。後は学生の学位のかかった少し大きいネタ・・・こちらは論文にするときに、またリバイスでもずいぶんと苦しむだろう。だが、Snack writingで少しずつ進んでいくしかあるまい。
by hisaom5
| 2014-10-01 12:36
| 雑記